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執筆者の写真小森智文

終活ー延命治療ーについて

 私はブログを書くにあたって、できる限り、同じ話題が続かないように配慮しているのですが、今週インターネットで読んだ記事が非常に印象深っ立ったので、それをご紹介させていただきます。


 ヤフーニュースで取り上げられていたのが、タレント田村淳さんのお母様のお話(https://news.yahoo.co.jp/articles/dcfba2f60f980a736cebe8313ffb510b3fbe2dc8?page=1)でした。

 元看護師であるお母様が延命治療をしないとの考えと、それと向き合う家族、そして、そのお母様が立つ鳥後を濁さずを実践されたというお話です。

 私も見習いたいと思う最期です。前回、デジタル遺産のことを書きましたので、その後、私もインターネットを利用しているサイトについて、一通り整理してみました。ざっくりと数えただけでも、60近くありました。死後事務をやってもらう予定の友人に迷惑をかけないためにも、IDとパスワードの一覧表を作り、今後も定期的に更新していこうと思います。


 この記事にも書かれています延命治療について、私の経験談として、昨年亡くなった母のことを書きたいと思います。

 私の母は、14年程前に脳梗塞で右半身は不自由になったものの、認知症を患うこともなく、87歳の誕生日を2週間程過ぎた頃に、急逝しました。

 亡くなる2日前に、会いに行った際に、私が「ここまで来たら、米寿まであと1年だから、そこまでは頑張ろう」と話し、母は冗談半分に「そんなのは無理」と笑いながら答え、いつものように1時間程会話を楽しみました。

 その2日後に、老人ホームの職員の方から「お母様の容態がおかしい。、救急車を呼べば、喉を切開して、延命措置をすることになりそうですが、救急車を呼びますか?」という電話連絡がありました。母とは常日頃から、終末期医療については話し合いをしており、「延命治療はしてくれるな」と言われておりました。また、その前の年に一時体調を崩した際は、医師から「もうそろそろです」と死期が近いと告げられ、老人ホームへ看取りの同意書を提出していたこともあり(なお、その時は奇跡的に回復)、「救急車は呼ばず、お手数を掛けますが、看取りをお願いします」と伝え、施設へ急ぎました。


 施設に着いたのは、連絡をもらってから1時間程経過していました。母の部屋に近づくと、職員やスタッフが部屋から溢れるほどいたので、間に合わなかったかと咄嗟に思いました。そうすると、看護師の方が「息子さんが来てくれたよ」と母に向かって話しかけたのを見て、まだ息があることがわかりました。

 その看護師の方が言うには、私が来るまで目を瞑っていたのが、私が来た途端、目が開いたとのことでした。私が母に話しかけても、目は虚ろで、呼吸は痰で苦しそうで、言葉を発することができない状態でした。

 私は母に対し、「お母さん、苦しいね。ゴメンね。ここで救急車を呼べば、お母さんが望まない延命治療になるから、呼ばないよ。」と話しかけ、母のそばで4時間ほど過ごしました。

 何度も息苦しそうになる母を見て、延命治療をしないという判断が正しいのかと心が揺れ動きました。私の場合は、家族に相談できる状況ではありませんので、私一人でその最終判断をくださないといけないということもあり、非常に辛いものでした。


 母と私だけの2人で過ごしていると、母がイビキかき始めたので、このまま目覚めないのが、苦しまずに済むと思いました。すぐに、無呼吸症候群の兆候が出始めたので、そのままに静かに見守りました。1分半、2分、3分経っても、イビキが再び鳴ることはなかったので、その時になって、職員の方に看護師の方を呼んで欲しいと伝え、看護師が息をしていないこと、脈がないことを確認してくれました。

 嘱託医の医師が来られたのは、母が亡くなってから4時間程経過した頃でした。ただ、医師が死亡確認をした時刻が、死亡診断書には記載されました。

 

 母は、田村さんのお母様のように、50~60代の頃から、ポックリと死にたいということを、私が帰省する度に、言っていました。病院で長い闘病生活をせずに、最期は眠りながら亡くなったのは、母の想いを実現できたのかなと思うようにしています。


 なかなか、元気なときに、死をイメージすることはしないかもしれませんが、ご家族やご親族と、どういう最期を向かえたいのかも、話し合っておくことは重要だということを、この記事は教えてくれると思います。

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